【ひとりごと】母の教え

ひとりごと

母の口癖から教わったこと

みなさんなじらね。さんにんにちです。

今回は私の母について書いてみようと思う。うちの母はちょっと変わっているところがあって、私が幼い頃から時々「子どもの私にそんなこと言っちゃう?」ということを言う人だった。でも、そんな母から教わったことが大人になった今改めて思い出した時「こういうことだったのか」「確かにそうだな」と腑に落ちることがある。

例として、母の口癖の中で印象に残っている3つを以下にご紹介する。

夫婦は「赤の他人」

「お母さんとお父さんは血のつながっていない『全くの赤の他人』なんだから、お父さんのことが理解できないてもしょうがない。」

これは私が物心つく頃から、父のいない時に母が私と兄に話していたこと。特に父とケンカした後で愚痴をこぼすように言っていた。まあ、考えてみれば当たり前のことだし、なんなら血がつながっているはずの私にさえ父の全てが分かるわけではない。ただ、当時小学校低学年くらいだった私からすると「お父さんとお母さんは夫婦で、私が生まれる前からずっと一緒にいるのに『全くの赤の他人』なのかあ…」と不思議な感覚だった。

正直「一応親が決めたお見合い相手とかではなく、ある程度恋愛したうえで結婚して家族になった相手なのだから『全くの赤の他人』はちょっとひどいのでは?」とは思う。でも、彼氏ができて、交際期間が長くなり、同棲を始め、結婚を考え始めた今、この言葉を思い出すと「たとえ何年一緒にいても完全にお互いを理解し合うことなんて不可能なんだから、価値観の違いやちょっとしたすれ違いでいちいち悩むことないか」と気持ちが楽になる。

実際、付き合い始めてもうすぐ4年半となる現在になっても、彼の知らない一面を見て驚いたり、価値観の違いに戸惑ったり(特に嫌な一面を見て失望してしまったり)することは多い。私がそう感じているということは、きっと相手もそうなのだろう。だから「ずっと一緒にいるのだから分かるだろう」ではなく、母が言っていたように「『全くの赤の他人』なんだから、相手が察してくれるなんて期待せずにちゃんと言葉で伝え合わなければ」と思うくらいがちょうどいいのかもしれない。

子どもの成績なんて自分には関係ない

漫画やアニメでよく見るお母さんは子どもに「勉強しなさい」というイメージがあった。私の友達のお母さんも友達を塾に行かせたり「宿題はやったの?」「テストの点数は?」と聞いたりして勉強させようとしてくると愚痴をこぼしていた。しかし、私は母から「勉強しなさい」と言われた記憶がない。代わりによく言われたのが「お前が勉強してもしなくても、いい成績をとってもとらなくても、お母さんには関係ないから、好きにしなさい」ということだった。(ちなみに私のことを「お前」と呼ぶのは方言のようなもので、私の祖母や母が自分の子どもや孫を呼ぶときに優しい口調で使うことが多いです。ときどき友達から「お母さんに『お前』って呼ばれるの?」とびっくりされることもあるが、命令口調とかぶっきらぼうな呼ばれ方をしているわけではないのでご安心ください。)

もちろん、私が通信教材を申し込みたいと言えば快く承諾してくれたし、満点のテストや良い成績表を見せれば自分のことのように喜んで褒めてくれた。だから「関係ない」という言葉には「興味・関心がない」「どうでもいい」という意味ではなく「勉強を頑張るのなら、母親の期待に応えるためではなく、自分自身のために頑張ってほしい」という母なりの思いが込められていたのだと思う。

おかげで私は「親にやらされているから」ではなく「自分自身のため」「自分がやりたいから」という気持ちで勉強に励むことができた。ひょっとすると母は、もともと負けず嫌いで努力家な私はわざわざ親から「勉強しなさい」と言われなくてもちゃんと勉強すると分かっていて、あえて言わなかったのかもしれないな、と今になって考えたりもする。ただ、当時の私は「(子どもに勉強させる)よくある母親のイメージ」と違う母を見て「あれ、うちのお母さんちょっと変わってる?」と思っていた。

どんなことがあっても子どもを一番に愛する

別記事でも書いているように、私は高校時代に拒食症になり「食べること」が怖くてどんどん痩せていってしまった時期があった。家族が心配して食べさせようとすればするほど、意地になって抵抗してしまい、せっかく母が用意してくれた食事を食べずに捨ててしまったり、思わず出てしまった言動で母を何度も傷つけたりした。それでも、母は私を見捨てず信じていてくれた。

「どんなことがあっても、お母さんはお前の味方だから。決して嫌いになったりしないし、信じてるから。それだけはずっと忘れないで。」心はボロボロで、痩せて骨と皮だけになった私の目を真っ直ぐ見て、そう言ってくれた母の言葉はいつ思い出しても、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。その言葉があったからこそ、今の私がいて、克服に向けて努力し続けることができている。私を信じて見守ってくれる母のためにも、私は私自身の幸せに向かって生きていこうと思える。

母は今までもこれからも一番信頼できるかけがえのない存在

母は、ちょっと変わっていて天然なところもあるが、私にとっては一番信頼できるかけがえのない存在だ。大人になった今では何でも話せる親友のような存在でもある。年に1回くらいのペースで2人だけで温泉旅行に行くし、私が実家に帰省すると母の部屋に布団を敷いて一緒に寝るのがお決まりパターンだ。一緒にいる間はとにかくおしゃべりが止まらない。

そんな母の口癖から教わったことは、大人になった今改めて振り返って「ああ、そういうことか」と腑に落ちることがある。別にだからどうとか、私も母のようになりたいとか、そういうわけではない。ただ「そういう考え方もあるんだな」くらいの気持ちで尊重しつつ、ときどき自分の考えに取り入れさせてもらうことで、自分なりの生き方のヒントにしていきたい。

プロフィール
さんにんにち

1995年9月20日生まれ。アラサーOL。
高校時代から拒食症になり、27歳で本格的に克服を決意。身長160cm体重38kg→6ヶ月かけて45kgに。
現在も「自分のために心・からだ・時間・お金を使う」をモットーに、本当の健康を目指す生活を心がける。
拒食症についての経験、悩みに対する考え方、ライフプラン、その他日常のできごとなどをブログで発信中。

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