みなさんなじらね。さんにんにちです。
今回は、私が拒食症を克服し体重を増やすために変えたことを気持ちの面に着目して書きます。
「拒食症克服のために体重を増やさなければと思うのに、いざとなると怖くて前に進めない…」
「克服を決意したのに気づくと前(拒食症)の状態に戻ってしまう…」
この記事がそんな風に悩んでいる人のヒントになれば嬉しいです。
行動面で変えたことについては別記事で書いていますので合わせて読んでいただければと思います。
「他人は他人、自分は自分」
誰しも、他人と自分を比べて落ち込んでしまうことってあると思います。特に私は子どもの頃から大の負けず嫌いでしたから、いつも周りの人と自分を比べて考えてしまうところがありました。そして拒食症に関して言えば「痩せすぎている(体重を増やす必要がある)」自分と「普通の(痩せていない)」あるいは「太っている(体重を減らす必要がある)」周りの人の状況を区別せずに比べていました。例えば高校時代、母親にもっと食べるように言われた際「どうして他の家族はそんなに食べていないのに私だけたくさん食べなければいけないんだ」と思ったり、大学時代、ダイエットをしている友達がお昼ご飯を春雨スープだけで済ませているのを見て「あの子はあれだけで我慢できているのだから、私も我慢しなきゃ」と思ったり。
今になってみれば、容易に理解できます。毎日部活動で汗を流す食べ盛りの高校生が、1日座り仕事の成人である両親と同じ食事量で足りるはずないことも、1食抜いただけで立ちくらみしてしまうほど痩せている人間が、少し食事を減らしても日常生活にそこまで支障が出ない健康な人のダイエットを真似してはいけないことも。でも、当時の私はとにかくその場で人と比べて「人より食べている(=負けている)」と感じるのが悔しくてたまらなかった。人より多く食べることが負けることにつながるのは、拒食症の人に多い考え方かと思います。(それまで育ってきた環境により「痩せている」=「自己管理能力が高い(優れている)」と思い込んでいるとか、それとは別で人間の本能的な脳の働きによるものだとか、理由は諸説あるようです。)
体重を本格的に増やそうと決意した私は、まずはこの人と比べてしまう考え方を変えなければと思いました。他人には他人の価値観や幸せがあり、自分には自分の価値観や幸せがある。自分の価値観を他人に押し付けてはいけないし、他人にとっての幸せが必ずしも自分の幸せになるとは限らない。それは理解できます。それなら、その考えを食べることにも当てはめてみようと思いました。他人には他人のベスト体重やなりたい姿があり、自分には自分のベスト体重やなりたい姿がある。他人が健康な体でいるために必要な食事量が必ずしも自分にとって適切な食事量になるとは限らない。
始めのうちは頭でわかっているつもりでも、人より自分が多く食べているときは苦痛に感じました。でも、そんなときは「この人は少ない量でも動ける体を持っているのだ。自分は脂肪という蓄えが少ない分、他の人より食べなければすぐエネルギー不足になってしまうのだ。」と自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせていました。(実際のところ、たまたまその時だけ自分の方が多く食べているだけで、少なく食べていた人も知らないところでおやつや飲み物でカロリーを取っていたりするんですよね。だから、そもそも一緒にとった食事の量だけを比べるのは何の意味もなかったりするわけですが。)
食事だけでなく、体重や運動に関しても同じです。必要な体重や運動量は、人それぞれ。身長も普段の生活も体質も異なる人と自分を体重やジムに通っている日数、スマホに記録される歩数計などの数字で比べることはできません。この「他人は他人、自分は自分」という考えを常日頃から自分に言い聞かせる習慣を続けたことで、次第に拒食症的な思考(他人より多く食べていること、運動量が少ないこと、体重が多いことに対する劣等感)によるイライラやストレスは感じにくくなりました。さらに言えば、拒食症とは関係ない部分でも、むやみに人と比べて落ち込むことが少なくなったように思います。
「~べき、~しなければならない」→「まあいっか」
拒食症になりやすい人の特徴としてよく挙がるのが完璧主義です。私ももれなく完璧主義な人間だという自覚があります。拒食症にみられる行動のほとんどは「~べき、~しなければならない」という言葉とともに促されます。「健康を維持するために体重を減らすべき(本当は「健康=痩せている」の時点で正しくないのですが)」「食事前・就寝前のおやつは我慢しなければならない」「体重を維持するために毎日運動するべき」「健康のために1口30回以上噛むべき」「食事は20分以上かけるべき」・・・そんな「~べき、~しなければならない」を真面目に守り続けた結果、それをしなければ気が済まない状態に自分を追い詰めてしまうのです。
体重を増やし始めた私は、それまで自分を縛り付けてきた「~べき、~しなければならない」を緩めるために「まあいっか」を使うようになりました。「夕ご飯前だけどお腹が空いたからお菓子をたべちゃった・・・まあいっか。」「寝る前だけど小腹が空いたから夜食たべちゃった・・・まあいっか」「今日は雨だし、なんか体調すぐれないから、日課の散歩はお休みしてもいっか。」「急いでたからご飯10分で食べきっちゃったけど、まあいっか。」そう考えるようになってから、自分の行動を責めたり、その後の反動で拒食症の症状が悪化することが本当に少なくなりました。
これまで自分に厳しくしていた人にとって「まあいっか」は甘えに聞こえて不快かしれません。私も最初は自分がダメな人間になりそうで不安でした。でも実は「まあいっか」は自分を上手に休ませて次の一歩を踏み出すために必要なものなのです。完璧主義で「~べき、~しなければならない」が当たり前になっている人ほど、本当は休むべきサインが出ているのに気づかず無理をしてしまっていることがあります。そのため、どこかで力を緩めてあげることがとても大切なのです。ちなみに、自分に厳しくできる人は「まあいっか」でちょっとお休みすることがあっても、また必ず再開できるようになります。
「~べき、~しなければならない」で自分を縛り付けていて拒食症から抜け出せない人は、自分を信じて、前に進むために「まあいっか」を使ってみることをおすすめします。
まとめ
いかがでしょうか。今回紹介した考え方は体重を増やすため、そして拒食症を克服するために取り入れましたが、結果として拒食症とは関係ない場面でもよい影響をもたらしました。「他人は他人、自分は自分」と思うことで他人の考えや価値観を尊重しつつ自分の意見も伝えられるようになりましたし、「まあいっか」と思うことで多少のトラブルにもいちいち動揺したり落ち込んだりせず前向きな考え方ができるようになりました。
今回ご紹介した考え方が、みなさん自身の心とからだを大切にするためのヒントになれば幸いです。
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