みなさんなじらね。さんにんにちです。
記事のタイトルを見て、おや?と思った方もいるでしょうか。今回は自分を大切にすることについてのひとりごとです。お気軽に見ていってくださいね。
他人にされて嫌なことは、他人にしない
子どもの頃「自分が他人にされて嫌なことは、他人にしてはいけませんよ」と親や教師から言われて育ってきた。よくよく考えれば価値観は人それぞれなのだから、嫌だと思うことも人によって違うとは思う。ただ、とりあえず自分がされて嫌なことはしないでおいた方がいい、という考えには同意できる。(これが「自分がしてもらって嬉しいことは、他人にもしてあげましょう」となるとまた話は変わってきて「おせっかい」や「ありがた迷惑」と呼ばれる行動につながりかねない気もするが。)
おそらくこの言葉は、子どもたちに「他人の気持ちを思いやる心」を身につけてもらいたい大人が口にするのだろう。ただ、上述のように「嫌なこと」も「嬉しいこと」も人によってそれぞれで、感じ方の度合いもさまざまなのが当たり前だ。だから、どんなに思いやったところで、相手の本当の気持ちを完全に理解することはできない。
それなのに、中には大人たちの期待に応えて「いい子」になろうとして、その言葉を真面目に実践しようとした子どもたちもいるだろう。まさしく私もその1人だ。そうして育ったおかげで他人をむやみに傷つけることなく過ごせているのだとは思うが、一方で「必要以上に他人の顔色をうかがって疲れる」「相手の言動を深読みしすぎて落ち込む」「自分の言動をいちいち振り返って『あの時あんなこと言わなければ…』と反省する」といった「気にしすぎる癖」がついてしまった気もする。
このように「自分が他人にされて嫌なことは、他人にしない」についていろいろ思うところはあるのだが、今回言いたいこととはずれるのでひとまずこれくらいで置いておくとしよう。
他人にされて嫌なことは、「自分にも」しない
大人になった今思うのは「他人にされて嫌なことは、他人にしない」は大切かもしれないが「他人にされて嫌なことは、自分にもしない」という考え方も大切にした方がよいのでは?ということだ。普段から意識せずとも自分を大切にできている人には「何を言っているんだ?」と感じられるかもしれない。
実際のところ、相手の顔色をうかがうことに気を遣いすぎて疲れてしまう人ほど、自分自身のことは同じように気遣えていないのではないかと思う。私自身も(自分でも気にしすぎだと分かっていながら)他人に気を遣いがちな一方で、自分のことは後回しにしてしまいがちだ。「あれがしたい」「これが食べたい」という心の声を無視したり、自分の気持ちに嘘をついたり、自分ルール(「~べき」「~しなければならない」)で縛りつけたり、思い通りにならないことを自分のせいにして責めたり…。他人には滅多にしないであろうことを自分に対しては無意識のうちにしてしまうのだ。「自分に厳しい」「ストイック」という言葉を使えばポジティブにとらえられることもあるかもしれない。でも「自分に厳しい」と「自分を大切にしない」は全く異なるのであって、一緒にしないよう気をつけたい。
「自分を大切にする」ということは自分の心とからだの声にちゃんと耳を傾けて「今」の自分に何が必要なのか考え、それを優先してあげることだ。その声を無視したり、本当に必要ではないことや「世間一般の」「常識的な」(と思い込んでいる)価値観を無理やり押しつけたり、必要以上の責任を背負わせたりするようなことは、他人にしてはいけないのと同じように、自分にもしてはいけないのだ。
これからも「他人にされて嫌なことは、他人にしない」だけでなく「他人にされて嫌なことは、自分にもしない」ように心がけていきたい。
コメント