【拒食症克服~ひとりごと~】思い出は美化されると言うけれど…

ひとりごと

みなさんなじらね。さんにんにちです。

今回は拒食症がひどかった頃の思い出についてのひとりごと。中には今も拒食症で苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれませんが、みなさんはどう感じるか、考えながら読んでみていただければ幸いです。

拒食症がひどかった高校時代は「暗黒の時代」?

年をとってから昔を振り返り「あの頃はよかった…」というように、思い出は美化されるとはよく言う。だが、私の場合、拒食症を発症してからの高校生活3年間にはあまりいい思い出がないように感じる。他の記事でも書いている通り、あの頃は教師や親の期待に応えようと必死で勉強や部活動に取り組み、それ以外は食べ物のことや「~しなければならない」と決めた自分ルールを守ることで頭がいっぱいだった。だから、熱い友情や恋愛といったキラキラした青春エピソードなどない、暗黒の時代だったように思えてしまう。

ただ、これはおそらく今振り返ってみた時に、全体として拒食症で苦しかった思い出が多くの割合を占めているからそう感じるのだろう。つまり私の中で、高校時代については「思い出は美化される」と逆のことが起こっているのだと思う。実際には私の高校時代にもうれしかったことや幸せを感じることはたくさんあったし、学校行事や部活動で青春の汗や涙を流したこともあったはずだ。ただ、拒食症の苦しい思い出の方が強すぎて、印象が薄れてしまっているだけなのだ。

苦しかったことも大切な思い出

このブログではよく、高校時代について苦しかったことやつらかったことばかり書くので、私の高校時代は、青春とは無縁の暗黒時代だったように感じるかもしれない(事実、書いている本人がそう感じている)。でも、それは「今」の私から見た過去を振り返った時にそう感じるからであって、実際にはちゃんと青春っぽいこと(?)もしていたはずだ。まあ、たとえ「今から高校時代に戻って青春をやり直したいか?」と聞かれても「いや、いいです(汗)」と答えるが。私にとっては「今」が一番大事で、これからをどうやって幸せに生きていくかが重要な課題なわけで、わざわざ過去に戻ってやり直す必要はないのである。

そもそも、青春の思い出というのは誰にとっても「キラキラしたもの」ではないのかもしれない。たとえ拒食症でなかったとしても、思春期ならではの様々な悩みや葛藤に苦しめられていた可能性は高い。だから「私の高校時代は拒食症のせいで台無しになった」などという悲観的なとらえ方はせずに「高校時代、私なりに苦しんだ経験があったからこそ、今の私があるんだ」という前向きなとらえ方をしていこうと思う。

拒食症は命の危険にも関わる深刻な病気だし、決して「なってよかった」なんて思えるものでもない。でも、拒食症に苦しめられた過去を引きずってこれからの人生まで暗くするようなことはしたくない。それに(特に症状がひどかった高校時代を含め)拒食症で苦しんだ思い出も「今」の私を作り上げてきたという意味では重要な人生の一部だ。だから「暗黒時代」として封印したり、悪いもの扱いしたりせず、他の思い出と同じくらい大切にしていきたい。

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