みなさんなじらね。さんにんにちです。
今回は拒食症の定義について少し書いてみようと思います。あくまで私自身の経験をもとにしていますので、ひとりごととして読んでいただければ幸いです。
拒食症はダイエットがきっかけ?「痩せたい」病気?
拒食症について調べると、よく「ダイエットがきっかけ」「痩せ願望が強い」といった内容が書かれているのを目にする。でも、私自身は拒食症で痩せていた高校時代、別に「ダイエットをしたい」とか「太っているから痩せたい」と思ったことはなかった。むしろ、体重が減ってガリガリに痩せてからは自分の体を人に見られるのが嫌で、いつも体のラインが出ない大きめの服を着たり、夏でも長袖のカーディガンを羽織ったりしていた。だから「ダイエットしたいわけでもないし、自分が太っているとも思わないから、私は拒食症じゃないのかな?」などと思っていた。
実は高校時代、どんどん痩せていく私を心配した母が一度、精神科に連れて行ったことがあった。しかし、その時は体重測定と30分程度のカウンセリングをしただけで、思っていたよりあっさりと帰された。(少ないながらも)毎日3回食事はできていたからなのか、部活動(バレーボール部)をやっていたこともあり最低限の筋肉が残っていて見た目より体重が少なくなかったからなのか、私自身に「痩せたい」という様子が見られなかったからなのか、詳しい理由はわからないが、その時は拒食症と診断されることもなく「しばらく様子見」ということになった。運動や食事について何か制限や指導をされることもなかったため、部活動を辞めさせられるのではないかとビクビクしていた私は内心ほっとした。それと同時に「じゃあ、なんで私は食べられないんだろう?」という疑問が渦巻くようになった。
大切なのは「定義」じゃない
他の病気と同様、拒食症にも様々な症状があり「この症状が出たら絶対拒食症!」という定義や診断の仕方は難しいのだろう。ただ、自分がなぜ「食べられない」のかが分からず苦しんでいた私は、心のどこかで「拒食症という病気だから食べられない」という答えにすがりつきたかったのだと思う。だから、拒食症について調べた時に、定義や症状として書いてあることが自分に当てはまらないと「自分はやっぱり拒食症じゃないのかな」「拒食症じゃないのに食べられない(食べるのが怖い)なんて、私はおかしいのかな」と不安になった。
今では、大切なのは「拒食症かどうか」ではなく「自分自身がどう感じているか」だと分かる。たとえ痩せ願望がなくても、見た目が痩せていなくて標準体重でも、どこかに「生きにくい」「苦しい」と感じることがあるなら、誰が何と言おうと、それは自分の心とからだがSOSを発している証拠だ。自分を大切にできるのは他でもない自分自身。だから、これからも世間的な定義にばかり執着するのではなく「今」の私自身の心とからだの声にしっかり耳を傾けられるよう心掛けていきたい。
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