【拒食症克服~ひとりごと~】祖父について

ひとりごと

みなさんなじらね。さんにんにちです。

今回は私の祖父について少しひとりごとを書かせていただきます。気軽に読んでいただければ幸いです。

祖父と私

私の祖父は寡黙で優しい人だった。怒ったところを見たことがなく、いつもにこにこしながら孫の私を可愛がってくれた。小学校低学年くらいまでは両親が共働きだったこともあり、放課後は祖父母の家に帰り、夕方母が迎えに来るまで預けられていた。祖父が親戚の家に行くときはよく連れて行ってもらったし、夕方一緒にテレビを見たりおやつを食べたりした。祖父と私は食の好みが似ていて、特に芋・栗・かぼちゃ系には目がなかった。親戚の集まりでケーキを食べることがあり、いろいろなケーキの中から1人1つずつ選ぶ時には(相変わらず祖父は特に自分の希望は言わないのだが)みんな祖父に気を遣ってモンブランを選ばないようにするくらいだった。

私は典型的なおじいちゃんっ子で、そんな祖父が大好きだった。小学校くらいまでは会うたびに、いつも「どれどれ」と言って私を持ち上げて、成長を確認するのがお決まりだった。中学に入ってからは私がテストの点数でクラス上位だったことを報告したり、良い成績をとった通知表を見せたりすると目を細めて喜んでくれた。高校は祖父の出身校である地元の進学校を迷わず受けた。無事合格し、高校に通い始めてからは部活や勉強が忙しくなり会いに行く機会が減ったが、たまに会うとやはり嬉しそうな顔で「学校はどうら?(どんな感じだ?)」と聞いてくれた。私はとにかく祖父の笑顔が見たくて、良い成績をとり続けようと勉強を頑張った。

美味しいものを食べて死にたい

祖父は、私が高校2年の冬に亡くなった。病気で入退院を繰り返し、医師から食事制限するよう言われていたらしいが、最期の方は祖父母の家に戻ってきていた。亡くなる直前、祖父はお正月のおせちで残っていた大好きな栗きんとんを食べてから息を引き取ったそうだ。それを聞いて「ああ、おじいちゃん最期は好きなものを食べられたんだ」と思った。

当時の私は拒食症の症状がひどく、家族が食べさせようとするのを拒んでいた時期だった。母から「おじいちゃん、亡くなるすぐ前もあんたが痩せすぎているんじゃないかって心配していたよ。」と言われたが、自分でもなぜこんなに食べることを拒絶してしまうのか分からず、どうすることもできなかった。大好きな祖父にまで心配をさせ、家族に迷惑をかけていることが情けなくて、何度も自分を責めた。

それでも、祖父の話を聞いて「いつか、もしもこの拒食症から抜け出して自分の好きなものを好きなように食べられる日が来るのなら、死ぬ直前まで美味しいものを食べたい」と思った。好物の栗きんとんを食べて亡くなった祖父のように、最期の最期まで自分の好きなものを食べて、後悔のない人生を送りたい!と。あの時の気持ちは、拒食症克服を目指し体重を増やして、ある程度好きなものを食べられるようになった今でも変わらない。

これからも祖父のことを思い出すとともに生まれる「私も大好きなおじいちゃんのように、最期まで美味しいものを食べるんだ」という気持ちをモチベーションに、拒食症克服を継続していこうと思う。

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