みなさんなじらね。さんにんにちです。
今回は私が拒食症で悩んでいた時に言われて傷ついた言葉について書いてみようと思います。
傷つきレベル★:「痩せててうらやましい」
高校や大学の友達に言われた言葉です。「痩せているからどんな服も着られてうらやましい」とか「足が細くていいな~」とか。言っている本人は誉め言葉のつもりかもしれませんが、痩せていることを指摘されるのが怖かった当時の私にとって、胸にチクチク刺さる言葉でした。
「痩せていればどんな服も着られるなんて大間違い。逆に痩せて骨や血管が浮き出ている体を見られるのが嫌で、露出の少ない服しか着られないのに…」
「足が細くてうらやましい?私はあなたみたいにメリハリがあって女性らしい柔らかい印象の体がうらやましい。私を目指したら足だけじゃなく胸もおしりもぺったんこになるからやめた方がいいよ…」
表面では「そんなことないよ~」と受け流しながら、心の中ではこう言い返していました。
傷つきレベル★★:「痩せてるから○○なんだ/○○できないんだ」
私の痩せすぎを心配した親戚のおばさんや友達のお母さんに言われた言葉。「痩せているから甘いものが嫌いなんでしょ。」とか「痩せているから運動なんてできないんじゃない?」とか。別に私が甘いものが嫌いとか運動が苦手とか言ったわけでもないのに、勝手に決めつけるようなことを言われて傷つきました。
「痩せていなくても甘いものが嫌いな人はいるし(そもそも私は甘いもの「大好き」ではないだけで、嫌いじゃないし!)痩せていることで人より体力はないかもしれないけれど、運動の得意不得意は関係ないじゃないか。どうして痩せているだけで、そんな風に決めつけられなきゃいけないんだ!」
そう言いたいのに面と向かって言えない自分もいて、悔しい気持ちでいっぱいになりました。
傷つきレベル★★★:「(食べられないなら)飢え死にすれば?」
高校時代、拒食症がひどくて夕食をなかなか食べ切れずにいた私に父が放ったひとこと。これが今までの人生で一番傷ついたといってもいいでしょう。当時は私がどんどん痩せていくのに、食べさせようとすればするほど抵抗するので、家族全員が疲弊していました。父にとっては生きるために必要な「食べる」という行為を拒み続ける私が「死にたい」と思っているように見えて、悲しみと苛立ちを感じていたのでしょう。
私自身も、当時はなぜ食べなきゃと思っているのに食べられないのか分からず、苦しんでいました。そんな時に実の父親から「死にたいなら死ねば?」的なことを言われたのです。もちろんその言葉に対してのショックも大きかったですが、とっさに「私は死にたいわけじゃない!」と言い返せない自分がいることに気づき、何も言えずその場で泣き崩れてしまいました。
「そうか、私はみんなが生きるために当たり前のようにやっている『食べる』ということができないから、死にたいのかな?」
今の私なら、あの時の自分に「そうじゃない、あなたは必死に生きたがっているんだよ。すぐに食べ物のことで頭がいっぱいになってしまうのも、食べることを怖いと感じるのも、体が生存確率を上げるために一生懸命脳にサインを送っている証拠なんだよ。」と言ってあげられます。でも、あの言葉は10年以上たった今でも思い出すと胸が苦しくなる程、心に深い傷を残しました。
心の傷は消えないけれど
拒食症の時に言われて傷ついた言葉は、どんなに時間が経っても、体重が増えて普通の体に近づいても、忘れることはできません。でも、その傷のおかげで価値観の違う人との距離の保ち方を学べた気がします。
「他人は他人、自分は自分。自分が大切にしているものや信じていることを失わない限り、他人に何と言われようが気にしない。言わせておけばいい。」
「私も自分の価値観だけで人を判断したり、アドバイスしたりするのはやめよう。」
そんな風に思えるようになり、生きるのがだいぶ楽になりました。
みなさんも人から言われた言葉で傷ついた経験はあると思います。その心の傷をどうするのかはみなさん次第です。ただ、せっかくなら、ただのつらい思い出にするだけでなく、これからの人生をより良くするためのヒントにできたら素敵だと思いませんか?
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